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放浪の天才画家「山下清展」
放浪の天才画家
    山下清展 (明石市立文化博物館)
            2011年7月16日(土)~8月28日(日)

   → 播磨エリアブログ

清君


先日、見に行ってきました!
↑の「長岡の花火」は、実物は貼り絵のためだいぶ自然風化していまして、↑の播磨エリアブログの画像を見ていただくとわかりますがセピア色というか褐色に近いかんじになってきています。
この画像は製作時のころの色がでていますね(ウェブ上の画像を拝借)。
今の時代、こんな風に当時の画像記録が残っているものはこうやってもとの色彩に近いものを見れたりするわけですが、
しかしやっぱり、ホンモノをまじかに見るにまさるものはありませんね。

山下清さんの子供のころの絵から最晩年の作品まで約150点の作品
 ・・貼り絵、ペン画、油彩、鉛筆画、版画、水彩画、陶器(絵付け)等
展示されていました。

        やましたきよし1   やましたきよし8


(つづきもよろしかったら↓)
↑の蜂のペン画もいいでしょ。カタツムリの絵もありました・好きです♪
これらはおそらく山下さん12~13歳ごろの作品なのではないかと思います。

このほか貼り絵や版画、油彩などももちろん素晴らしかったです~!

          やましたきよし6    やましたきよし7


「家族が語る山下清」
     →並木書房のページ

「ここのところの色はもう少し濃いほうがいいんだな」
 こう言ってよくアドバイスしてくれたのは、私の叔父・山下清です。
 私が小学生のころの夏休みの宿題はいつも貼り絵でした。
 相手が誰であろうと合わせることができずマイペースをくずさなかった叔父は、人に#教える$ということを極端に嫌っていました。ですから、叔父のもとに美術大学の学生などが弟子入りの志願に来ると、ことごとく断ってしまい、生涯を通じて弟子をとることはありませんでした。
 それを考えると、叔父から直接貼り絵の指導をうけていた私は、山下清の唯一人の弟子といえるかもしれません。

 画家・山下清、そして彼を終生かわらぬ愛情によってささえた母親・ふじ、弟の辰造、辰造の妻・礼子。私にとってはそれぞれ叔父、祖母、父、母という人たちです。あとから加わった私・浩と私の弟・茂が山下家のメンバーです。
 叔父から教えられたこと、学んだことはたくさんあります。そのなかで今も強く心に残るのは「あるがままの自分に正直に生きよ」ということです。このことは、本書を読み進んでいただければ、読者の皆さまも感じていただけるのではないかと思っています。

 四九歳という若さで人生の幕を引いた山下清――。
 人は彼を「放浪の天才画家」と呼んでいました。
 放浪中のできごとについては、これまでいろいろな書籍やテレビドラマ、あるいは映画などによって、おもしろおかしく紹介されてきました。しかし、どれも知的障害者としての山下清像が先行しすぎているのです。そのイメージのもとに絵画作品も批評されていることは非常に残念です。
「兵隊の位になおすと……」という流行語まで生み出したり、奇妙な言動で笑いを誘い、映画やテレビドラマを通じて広く知られた山下清像が、まったく実像とかけはなれているとは言いませんが、家族だけが知るもう一人の山下清がいたこともまた事実です。
 人並みはずれた記憶力の持ち主で、超がつくほどの几帳面な性格。作品を制作するときも、自分で決めた作業時間を忠実に守ります。
 また、いたずらが大好きで、負けず嫌い。相手が子供といえども絶対に手を抜かず、トランプでも何でも自分が勝つまでやめません。
 放浪時代は着の身着のままの姿でしたが、ほんとうはたいへんオシャレで服装にも気をつかっていました。マスコミにその言動が注目されるようになると、自分がどう扱われているかとても気にするナイーブな一面もありました。
 自分の体を大切にするあまりいろんな健康法をつぎつぎと試してわけがわからなくなったり……。叔父が大嫌いだったサインをしてくれたおかげで、家族全員が飛行機事故に合わないですんだ、などということもありました。

 ほんとうの山下清を知ってほしい。そうすれば叔父の作品もまたちがった角度から見てもらえるのではないか――。そんな家族の思い、願いから一冊の本にまとめてみました。

 叔父が残したかずかずの作品は、見る人たちになにかあたたかいものを感じさせる貴重な作品として評価されています。
 私たち遺族は、次の世代の人びとにも作品を見てもらえるように、作品の保存に力を注いでいます。
 劣化した作品の修復作業などをはじめ、近年にわかに表面化してきた贋作問題など、山下清の名を汚さないことを念頭において対応しています。
 なぜそこまでしなければならないのか――。
 そうしなければ、いままで叔父の作品に対して、数多くの人たちからいただいた評価、あるいは鑑賞していただいた方々の純粋な気持ちというものがすべて台無しになってしまうからです。
 そのため私たちは、叔父の作品を未来永劫つたえていけるようできるかぎりのことをしていく覚悟です。


 大正に生まれ、戦前、戦後、そして高度経済成長期という、あわただしい時代を一気に駆け抜け、四九歳で生涯を閉じた叔父・山下清――。
 まるで大好きな花火のように、一瞬のきらめきを放って消えていったようです。しかしその一瞬のきらめきは、花火と同様に人びとの心に永遠に刻まれています。
 本能の赴くままの旅のなかで山下清が求めたものは、「絵を描くため」でも「きれいな風景を見るため」でもなく、何もしないで「ぼーっ」とできる時間でした。この「ぼーっ」としている時間こそ、山下清の世界だったのです。
 そのそも、山下清の世界とは、我々の住む社会とは無縁だったのかもしれません。山下清は自由奔放に生きた自由人であったからこそ、殺伐とした現代社会とは無縁な「あたたかい」「ほのぼのとした」存在として多くの人びとの心に生きているのでしょう。
 いま山下清は、大好きだった富士山のなかの富士霊園で永遠の眠りについています。墓碑には「みんなの心に生きた山下清」と刻まれています。


      やましたきよし3    やましたきよし11
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