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教育―次の世代に何を伝えるのか ③
「教育―次の世代に何を伝えるのか」 その③


◆見えないものの世界に価値を置く

中井:『地球交響曲(ガイアシンフォニー)第三番』に星野道夫さんの言葉が出てきますが、「目に見えないものに価値を置く社会の思想に、僕はたまらなく惹かれる」という。僕もこれに惹かれますけど、これを下手に語るとちょっと危なくなりますよね。

龍村:星野道夫が非常に感動的な写真をたくさん撮りますね。でも、写真で写したら目に見えるものしか写んないんです。だから、目に見えないものを撮ってるというんじゃなく、まさに目に見えるものを撮ってるんですけど、ところが、そこで彼が何をしようとしているかというと、実は、その先の目に見えないものを写したいんですね。目に見えないものは写んないという事実がありながら、彼の写真には目に見えないものが写っているから感動するんです。
 ただ熊の生態が面白いからって撮ってたら、熊はこんなふうに鮭とるのかっていう、それだけの写真になる。珍しいもの見たなあという情報はあっても、それは一回見ればもう飽きちゃう。ところが、星野の写真は見れば見るほど飽きない。それは、写っているものを通して写っていないものが立ち現れるような写真を撮ってるから。彼自身が、目に見えないものを見たいって感じながら撮ってる、ということだと思うんですね。存在しているから撮ってるんじゃなくて、そういう思いがあって撮ってる。
 彼の写真は同じものなんだけど、見る僕との間で対話が始まっちゃう。そういう写真ですよね。その瞬間に生起していくものであって、存在しているものじゃない。相互関係があって初めてそこに成立するものであって、だから写真と僕、一方が他方に伝達している関係性ではなくて、何か双方向で生起し続けるようなものって言うんでしょうか。目に見えないっていうのは、そういうことなんで、その瞬間に生き生きと生起するから存在するけど、あるとは言えないというか、目に見えないっていうか。これがもう、あらゆる人間の局面に必要なことだと思うんです。
                 星野さん
                     星野道夫さん 

中井:教育の問題を考えるとき、こういう目に見えないものに価値を置く、そういう考え方を教育の現場にどう生かすのかということが大切になってくると思いますね。

龍村:星野道夫の亡くなる前に、子供が産まれました。その時、彼はマッキンレーの麓の氷河の中にたった1人でいまして、無線で子供が産まれたっていう知らせが入ってきた。そこで彼が書いたのが、彼の亡くなる直前の『旅をする木』というエッセイですが、その最後のところで、こういう言い方をしてるんですよ。「結果が最初の思惑どおりにならなくても、そこで過ごした時間は、確実に存在する。そして最後に意味を持つのは、結果ではなて、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である」っていう、この感覚。それと、もう一つ、慌ただしい日々の営みと平行して、見えない悠久の時の流れがあるという感覚。この感覚を、いま生まれたばかりのまだ見ぬ息子に、これから僕は伝えていけるだろうかっていう、そういう問いかけで終わっているんです。
 学問とか科学という世界で一番議論しにくいのが、この二つの感覚ですね。結果が思わしくなくてもプロセスが大事だということは、学問の世界では反対で、結果出さなきゃ何の意味もねえっていう話になりますね。プロセスというのは、物質的な結果が生まれる前ですから、目に見えないものですね。目に見えないけども、そこにあるものを大切だと思い、結果は何かに委ねていくっていう感覚。それが僕は悠久の時につながる感覚だと思うんです。目に見えないプロセスが本当は大切だという価値観があって、それで一生懸命やっていると実際に思いがけない結果が生まれてって、こういうのが、本当は人類が成長する循環なんだと思うんです。ところが、物質的な結果だけに価値を置いてしまうもんだから、何か疲弊しちゃって、新しいものが生まれないことになりますよね。

中井:確かにいま政府も、経済不況もあって、大学の教育に対してあせった感じがある。それで、ベンチャーとか何か新しいものを作って、日本経済を活性化しなきゃいけないと、勢い、結果ばかりを求める雰囲気が、私たちの背中に重圧としてあるんですよね。私たちの背中にあるから、学生達もそれを感じとってるはずです。そうすると大学全体として、本当の意味で新しいものを創造する場所じゃなくなっていく。そういう状況が、いま、確かにありますよね。

◆見えないものの世界を教えられるか

 ――さきほどの、星野さんが息子さんに伝えたいという感覚は、今度の『第四番』の「21世紀を生きる子供たちへ」のメッセージでもあると思います。そして、「見えないものの世界」という話は、先に出てきたダイソンの話、つまり、一つ分かってくると、その背後に100と1000と分からないものがあるということが分かってくるという、その話とも通じてくるし、レイチェル・カーソンが感性と呼んだものにも通じてくると思います。

中井:センス・オブ・ワンダーですね。

 ――ええ。そこで、21世紀の教育を考えていく時、そういうものをどう教えることができるのかが問題です。これまでの教育は、分かっていることを一つ一つ教えることだったと思いますが、その背後に見えないものの世界があるということをどうやって伝えることができるか。何かが分かってくると、その背後に分からない世界が広がってる、そういうことに対する感覚を、教育の場でどれだけ教えられるのか。

中井:いま、学術会議(第6部・農学関係)で議論されてるのは、フィールドサイエンスというか、フィールドワークの再構築なんです。これまでは、農学の分野でも、研究室へ研究室へと閉じこめられてきて、僕ら自身が研究室に入り浸りになっちゃって、研究室の壁の向こうにある自然に想像力が及ばないという状況だった。これは多分、農学分野だけじゃなくて、科学の全体に言えることじゃないかと思うんですね。だから、もう少し子供たちをフィールドに出してあげる、学生達を研究室に閉じこめておかないで、……これ、答えになってないかもしれないけども、1つのやり方としてですね。

龍村:そういうことの前提として、人類の知性には頭脳的知性と全身体的知性とがあって、頭脳的知性の本当の活性化のためには、全身体的知性の活性化が不可欠であるという、そういう価値観を持たなきゃいけないと思うんですね。
 実際にフィールドワークって面白いと思うんです。アマゾンのジャングルの中に入ってみると、研究も何もなくなっちゃうところがあるわけです。生きることが大変になっちゃたりして、では、そういうことは教育ではないのかと言ったら、まさにそれが全身体的な活性化によって、もう一度専門のところに戻った時に、全然見方が変わってくるとか、そこから新しい研究が生まれてくるとか、そういうことがあるので、知性に関する基本的な価値観を、そういう全身体的知性におくことが必要だと思うんです。
 大学は頭脳的知性が先鋭化していく場で、それはそれでいいんだけど、そういう場にあるものほど、全身体的知性の活性化がベースに必要なんだという価値観が、しっかりないと。そういう価値観のもとに何をすればいいのかという時に、一つはフィールドワーク的なものもあるし、いろいろ工夫があっていいと思うんだけど、そのベースにいまの全身体的知性が必要ということになるわけですね。
 別の言い方をすれば、専門になればなるほど、専門でないところとの出会いをどう作るかっていうことが重要で、例えば中井先生をブリッティッシュコロンビアの無人島のようなところにお連れして、夜一緒にクジラの歌声を月明かりの中で聞いてみるような、そんな体験はご研究に直接には何にも関係ないかもしれないけど、とっても重要。それぞれの人間が専門的に先鋭化せざるをえないだけに、逆にそういう全然異質なものに出会うチャンスを、どう作るかっていうのが大切ですね。

中井:ええ、分かります。


(④へつづく)

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松山ケンイチさん大好きだぁw

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