*All archives* |  *Admin*

2017/09
<<08  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30  10>>
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
教育―次の世代に何を伝えるのか ①
「教育―次の世代に何を伝えるのか」 その①
龍村仁(映画監督)・中井弘和(副学長)・司会:浜渦辰二(本誌編集委員長)


◆「人間と地球環境」から

――2年前に静岡大学創立50周年記念の行事が「人間と地球環境」という統一テーマで行われ、その一環として龍村監督の映画『地球交響曲(ガイアシンフォニー)第三番』の上映会と講演会が行われました。現在監督が製作中の『第四番』には「21世紀を生きる子供たちへ」という副題がつけられていて、それは教育の根本に関わる問題でもあるということで、今日は、その関連でお話をお聞きしたいと思います。
中井:あの時は3000人集まりまして、そのうち2000人近くの市民の方が大学に足を運んでくれました。静大の歴史の中でも画期的な出来事だったんです。あれは大学が変わる大きなきっかけになったと考え、感謝しています。

             nakaisan.jpg       takimurasan.jpg
                中井弘和氏           龍村仁氏

龍村:『地球交響曲(ガイアシンフォニー)』は、自発的な市民の上映運動によって150何万人の観客を動員してきました。それでこの10年間、いろいろな方達にお目にかかってきて確信を深めてるのは、立場が違おうが、それぞれの専門が何であろうが、何か根源的なことに触れた時に人が見せる感動、これは変わらないということです。この前の静大の時も、講演会の後のパーティーでいろいろな方々とお話をしましたが、先生方お一人お一人が見せられた反応が、この10年間会ってきた人達の反応と同じなわけです。そのことに僕は感動しました。人間というのは、それぞれのレベルでそれぞれ専門的なことを持っているんですが、そのベースのところで、人間として誰にでも共通しているものを持っていて、それが素直に現れる状態っていうのは、人がとっても健やかな状態になっていることなんですね。大学の先生方お一人お一人が、普段はお見せにならないような人間的な顔をお見せになる。そこを軸にしてそれぞれ専門のことを考えていけば、自ずと一つの道が見えてくるだろうと、希望を持ちました。大学の50周年でこの映画を上映するって珍しいんですけれど、先生方が大学の進んでいく方向性を、ああいう地点に立ち返って考えていこうというところに、捨てたもんじゃねえなって、そういう感じがしました。


◆どこに向かって変わるのか

――この10年ほど、大学は大学改革で揺れて来ました。大学のみならず、教育制度全体がいま改革の時期にあり、そういう中で教育も変わってきたわけですが、新しい世紀を迎えて、21世紀の教育はどう変わるのか、いかがお考えですか。

中井:教育が変わる、その意味が問題です。日本の状況としては、18歳人口の減少や経済の不調による行政改革の一環として大学改革が行われているし、大学審議会答申が平成10年に出され、12年の夏には独立法人化の方向が決められ、それと最近、凶悪な少年犯罪が社会現象として問題になってきている。そういう中で、教育は変わらざるを得ない。しかし、何に向かって変わるのか、それが重要だと思うんです。
 21世紀は「いのちの時代」と言われますが、人間のいのちとともに、地球そのもののいのちも一緒に考えていかなくてはいけない。そういうことに向かって僕らはどう教育を変えていけるかが重要だと思っています。
 それからもう一つ、教えるとか教えられるって一方向的ではない、そういう視点が重要になると思うんですが、龍村監督は『地球交響曲(ガイアシンフォニー)』の中でそれを問いかけておられる。

龍村:ふつう教育を考えると、人間がどう生きたらいいのか、そのハウツーを教えることが必要になる。ところが、僕が映画のなかで魅力的で素晴しいなと思って出ていただく方達は、ハウツーを学ぶことはそれなりにやっておられるんですけども、その先に教える教えられるという関係性では成立しない重要なことがあって、或る段階までは先生に教えられて学ぶのだけれども、その先で結局一人一人が自分で発見していかなければならないことがある、それが分かってるんですね。
 例えば『第二番』だったら、佐藤初女さん(森のイスキア主宰)の梅干しがいつでもおいしくて、それを食べただけで病気が治っちゃうのですが、初女さんは梅干しの作り方を最終的には教えられないという。確かに、塩を何グラム、水を何パーセント、何キロの重しでこうする、そういうことを細部にわたってデータにして平均化することはできますが、梅干しは1個1個全部違うし、漬ける季節も違うし、ご自身のメンタルコンディションによっておいしさも変わってしまう、従って教えられない。結局、その都度、梅干しと対話をしながら、梅干しからの答えを聞いてやるんだみたいな言い方をされる。結果を見ると、彼女の作る梅干しはいつもおいしい。にもかかわず、そこに至るハウツーは、或る段階から言えませんという。これをどう考えたらいいのか。教育というのは、ここから先はそれぞれでやってくださいと、ハウツーだけを教えることなのか、そういう教えられないものも含むのが教育なのかということですね。
 大きな時代の流れで見れば、皆が同じことを獲得していくのが、人類の文明の方向性だとすると、一人一人が自分のやり方でしか学べないものがあるということを見つめないといけない時代に来ていると思うんです。ハウツーだけを求めると、人の根源的な生命力を萎えさせていく感じがする。新しい状況に対して改革していくエネルギーが萎えていき、細部ばかり追うことになっちゃう。
                佐藤さん
                     佐藤初女さん


◆教えないけど一緒にやる

中井:昨年の11月27日に『地球交響曲(ガイアシンフォニー)第四番』の立ち上げのシンポジウムがありました。
「ジェームズ・ラブロックと展望する、21世紀のガイア」という。あの第四番に出て来る、沖縄の版画家の話が、面白かった。子どもの時、魚の取り方を教えないけれども一緒に行うということを徹底してやってくれた。それが、今の彼の生き方に大きな影響を与えているという。

龍村:そうですね。名嘉睦稔(なか・ぼくねん)という、沖縄の小さな島出身の版画家で、10歳ぐらいの頃から、海で追い込み漁を手伝わさせられるわけです。追い込み漁っていうのは、珊瑚礁に入って来た魚が、引き潮で海へ出ていく時に、通り道に網を仕掛けて、魚を追い込むという漁なんです。ベテランの40~50代の漁師達がいて、10代の若者たちが手伝いをさせられるわけですけど、4~5人で一緒に追っていく時、1人だけずれたりすると、そこから魚が逃げちゃう。だから、全員気を合わせてやっていかなきゃいけないのだけれど、年齢が違うから遅れそうになる。ベテランの漁師達が、潜る時はこういうふうにやりなさいとか、こうやれば効率的だよとかってことを教えてくれれば早いだろうと思うんだけど、全然教えない。ただ一緒にやってて、自分が失敗して遅れると、そこから魚が逃げる。逃げちゃうと、皆がっくりしちゃう。結局、ベテランの漁師達がやってるのを見ながら覚えていく。教えないし教えられないんだけれど、それをやりたいと思うから、やっているうちにうまくできると、ほめられる、ほめられると嬉しくなる、もう1つ先まで行こうとする。そういうやり方なんですね。
 実は彼、画家なんですよ。画家で、自然界の美しさとかを描くわけだから、観察が重要だと思っちゃうけれど、とんでもない。観察なんかしていられない。追っかけで必死になっている。しかも最終的には、それを食べたいっていうことにつながっている。だから、彼が海の中で魚の美しさとかを見ている感じはしないのだけれど、彼の体にインプリントされているものがあって、彼がキャンバスに向かって描き始める時、その魚の一瞬のきらめきの美しさが立ち現れて来る、そういうことがあるわけですね。
               名嘉さん
                   名嘉睦稔さん          

(②へつづく)
スポンサーサイト
Secret
(非公開コメント受付中)

プロフィール

かぼちゃん

Author:かぼちゃん
ふたりの男子の母です
松山ケンイチさん大好きだぁw

フリーエリア
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
月別アーカイブ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。