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「神戸新聞の7日間」
こんにちは。
皆さん お変わりありませんか。

昨晩、「神戸新聞の7日間」(フジテレビ 21時~)をみました。

阪神淡路大震災…この時はまだ私たち家族は関東に住んでいましたので、
この事実は最初、テレビの報道で知りました。
私にとっては偶然だったのですが、
この17日の前日・私は家族で出かけていた先で急に発熱し激しい頭痛にに苦しんでいました。
それに加えて帰りの高速道路(東北自動車道)では事故で大破し真っ黒こげになった車をもろに見てしまい、
背筋が凍るほどの恐怖を感じてしまった…という記憶が今も消えません。。
(↑の事は、地震とは直接は関係なかったのですが…)
家に到着し一夜が明けてテレビをつけたら…
神戸のあの様子が目に飛び込んできました。。

私は現在、神戸の近くに住んでいます。
しかし、被災はしませんでした。(震災の翌年に引っ越してきました。)
が、これまで友人や知り合いのひとから数々の震災当日に体験したことを聞いてきました。
聞いて、わかったつもりでいたのです。
しかし私は思い知らされました。

(以下もよろしかったらどうぞ)
昨日のドラマは何度も泣きました。
しかし私は思い知らされたのです。
ドラマの中でも大切な記事としてとりあげられた、
三木康弘論説委員長が書かれたた論説をご紹介いたします。



被災者になって分かったこと(神戸新聞1995年1月20日付「社説」)

 あの烈震で神戸市東灘区の家が倒壊し、階下の老いた父親が生き埋めになった。三日目後に、やっと自衛隊が遺体を搬出してくれた。だめだという予感はあった。
 だが、埋まったままだった二日間の無力感、やりきれなさは例えようがない。被災者の恐怖や苦痛を、こんな形で体験しようとは、予想もしなかった。
 あの未明、ようやく二階の窓から戸外へ出てみて、傾斜した二階の下に階下が、ほぼ押し潰されているのが分かり、恐ろしさでよろめきそうになる。父親が寝ていた。いくら呼んでも返答がない。
 怯えた人々の群れが、薄明の中に影のように増える。軒並み、かしぎ、潰れている。ガスのにおいがする。
 家の裏に回る。醜悪な崩壊があるだけだ。すき間に向かって叫ぶ。
 何をどうしたらよいのか分からない。電話が身近にない。だれに救いを求めたらよいのか、途方に暮れる。公的な情報が何もない。
 何キロも離れた知り合いの大工さんの家へ、走っていく。彼の家もぺっしゃんこだ。それでも駆けつけてくれる。
裏から、のこぎりとバールを使って掘り進んでくれる。彼の道具も失われ、限りがある。いつ上から崩れてくるか分からない。父の寝所とおぼしきところまで潜るが、姿がない。何度も呼ぶが返事はなかった。強烈なガスのにおいがした、これ以上無理だった。
地区の消防分団の十名ほどのグループが救出活動を始めた。瓦礫の下から応答のある人々を、次々と救出していた。
時間と努力のいる作業である。頼りにしたい。父のことを頼む。だが、反応のある人が優先である。日が暮れる。余震を恐れる人々が、学校の校庭や公園に、毛布をかぶってたむろする。寒くて、食べ物も水も乏しい。廃材でたき火をする。救援物資は、なかなか来ない。
 いつまで辛抱すれば、生存の不安は薄らぐのか、情報がほしい。
 翌日が明ける。近所の一家五人の遺体が、分団の人たちによって搬出される幼い三児に両親は覆いかぶさるようになって発見された。こみ上げてくる。父のことを頼む。検討してくれる。とても分団の手に負えないといわれる。市の消防局か自衛隊に頼んでくれといわれる。われわれは、消防局の命令系統で動いてくれるわけではない。気の毒だけど、という。
 東灘消防署にある救助本部に行く。生きている可能性の高い人からやっている、お宅は何時になるか分からない、分かってほしいといわれる。十分理解できる。理解できるが、やりきれない。そんな二日間だった。
 これまで被災者の気持ちが本当にわかっていなかった自分に気づく。″災害元禄″などといわれた神戸に住む者の、一種の不遜さ、甘さを思い知る。
 この街が被災者の不安やつらさに、どれだけこたえ、ねぎらう用意があったかを、改めて思う。



・・・・・ ・・・・・ ・・・・・

今日は兵庫県内各地で追悼行事が開かれていたそうです。

まったく関係はないのですが、
今日うちの近くの山で火災があり(山火事だったようです)、
お昼頃からほんのさっきまでヘリや消防車による消火活動が行われていました。

うちからは1Km以上離れているのですが、樹が燃えている匂いがしていて、
ヘリの音や消防車のサイレンの音が鳴りやまず、
とても複雑な気分でした。

災害の様子を目にしただけでも恐ろしい。。
サイレンが聞こえてくるだけでもこんなに不安になる。。
被災した方々はどんな気持ちだっただろうか。。
経験していない私には、本当に、
わかったつもりでいたけれども まだまだわかっていなかったのだと。。
ひとつひとつ、学ばせていただくしかないのだな…と、
つくづくそう感じました。

・・・・・ ・・・・・ ・・・・・
ドラマではこの三木論説委員長の社説の記事を取り上げた後、
記者の皆さんは気持ちを転換していきます。
「辛い記事はもういらん、被災者に希望を与える原稿を写真を記事を!」
震災から4か目・1/20の夕刊… 『総力を挙げ救済、復旧』 
そして、『街に復興の光』
    希望と勇気すてないで『烈震 救いの祈り』
…といった見出しの記事だけでなく、
被災者があすを生き抜く情報が満載の新聞をつくっていったのです。

・・・・・ ・・・・・ ・・・・・ 
ドラマは実話をもとにして作られていました。とても感動的でした。
私には上手にお伝えできなかったと思いますので、
是非↓にも飛んで行って読んで頂けたらとおもいます。

  2010年1月16日放送の震災ドラマ「神戸新聞の7日間」 (神戸新聞 読者クラブ)

  阪神大震災15年、早朝から兵庫県内各地で追悼行事 (読売オンライン)



最後までお読みいただき、ありがとうございました m(_ _)m
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松山ケンイチさん大好きだぁw

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